結局今日もお話当番が入ってるし。今日のお話は『伝道の書』(『コヘレトの言葉』)12:1より。
「修学旅行の夜によくある会話、その1。」と「修学旅行の夜によくある会話、その2。」が狙い通りウケたが、ちょっとウケ狙いが過ぎたかなあ、とも思う(でも無駄にウケ狙いをしたわけじゃないのよ)。
人間が神の存在を認識できるかどうかは、正直分からない。つまり、神がいるという認識を確実に持つことはできない。それはキリスト者も非キリスト者も大して違いはない。問題はそこから先。
それはそうとして。お話当番は、楽しいのだけれど、毎週やるのは辛い。既に3週連続。ま、出エジプト記3章のモーセのように、じたばたしているうちに日曜の未明になってそこからお話を書きはじめる僕が悪いといえば悪いんだが。来週はさすがに休みだ。
こちらは当然、聞く番。ルカ14:12-14より『正しく計算して損を生きる』。
あの日、痛みとともに私の領域を離れたことについて、とても慰められる。ふりかえると、婦人の方が2、3人程泣いておられたのだが、そういうことなのだと思う。
分餐担当の人が直前まであらわれずに焦るものの、何はともあれ、間にあってよかった。
僕の教会では、毎月第1日曜日は、10月が誕生日(または洗礼記念日)の人に花と栞を贈る、というイベントを行う。
10月生まれの人を立たせてみたところ、けっこう多い。
友人から誕生日プレゼントをくれるという申し出が。素敵な十字架のペンダントがあるのだそう。
普段アクセサリーはしないのだけれど、ありがたくいただくことにした。これも楽しみ。
最近、この日記の文章の中で、スマイリーや「(笑)」のような表現を、できるだけ使わないようにしている。
おかしいなあ。今日の教会学校用の文章、どっかで書いたことあるような気がして仕方がない。それも夢で何度か見たような記憶が。昨日書いたオリジナルのはずなのになあ。