日本福音ルーテル むさしの 教会のある日の説教。ウェブをあちこちたどっていたら見つけた。なるほど、と思う。
何がなるほど、って、実を言うと、僕がクリスチャン(どちらかというと「キリスト者」と呼ぶ方が好きなのだけれど)に対して抱いた印象は、つまり後者、短所が目につくけれども、その短所故に躓くことはなく、その人を通してキリストが見える、というもの。つまり、ここで言うところの「自己超越型クリスチャン」そのものだったからだ。ただ、言葉になっていなかったというだけで、それが明文化された、ということなのだけれど、明文化された、ということの意義は、僕にとって極めて大きい。
それにしても、この説教が行われた日は僕の誕生日じゃないか。それも18年前の。