2004-10-17(Sun) [長年日記]

[christianity] 自己超越型クリスチャンという概念

『聖霊降臨後主日礼拝 説教 「生かされて生きる」 賀来周一牧師』
<http://www4.big.or.jp/~joshiba/message/sermon/117.htm>

日本福音ルーテル むさしの 教会のある日の説教。ウェブをあちこちたどっていたら見つけた。なるほど、と思う。

何がなるほど、って、実を言うと、僕がクリスチャン(どちらかというと「キリスト者」と呼ぶ方が好きなのだけれど)に対して抱いた印象は、つまり後者、短所が目につくけれども、その短所故に躓くことはなく、その人を通してキリストが見える、というもの。つまり、ここで言うところの「自己超越型クリスチャン」そのものだったからだ。ただ、言葉になっていなかったというだけで、それが明文化された、ということなのだけれど、明文化された、ということの意義は、僕にとって極めて大きい。

それにしても、この説教が行われた日は僕の誕生日じゃないか。それも18年前の。

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