働けば、自分の能力の限界という不幸をつねに感じる。仕事がうまくいかないのは、場合によってはまわりのせいでもあるが、結局はほとんどの場合、自分の実力がないからだという否定しようのない事実を、ほとんどの人がつきつけられる。
(中略)
しかし、働いて自分に能力のない不幸を実感したことのない人こそ、本当に不幸である。自分の無能の現実を知らないで生きることの空しさ、その空しさのなかでジタバタする、言葉にならない感覚を、働くことを拒否した人は知ることはできない。能力の限界に向かい合いながら、なんとかつらい仕事を仲間と仕上げ、その後でみんなで「やれやれ」と飲むビールやワインの味は、仕事をせず、日がな一日ボーッと暮らして飲むときとは比べものにならない。
そして自分の力の限界を知る人だけが、働くなかで自分以外の力によって何かが成し遂げられる瞬間があることを知る。その自分以外の力は、多くの場合、自分のまったく予想していなかった偶然というかたちでしか訪れてくれない。
しかし、働くことのなかにある「偶然」をバカにしてはいけない。ほとんど偶然としか言いようがない、自分の能力を超えて何かが出来てしまった感覚。自分にとって、あまりにタイミングのいい偶然。それによって突然、自分の目の前が開けてしまう感覚。偶然という自分を超えた存在だけが、本当の自分の可能性を感じさせるのだ。働いてみないと、そんな偶然はやってこない。