今まで幾つか、もじゃもじゃとした黒い綿埃のような思考のよどみが、急に「ゆるし」というテーマでつながりはじめた。しばらく(数日間)考えて、祈ってみようかと思う。
高校時代、図書室から鴻上尚史の『恋愛王』という単行本を借りたことがある。『JJ』連載だったとゆーのがアレなんだが、それは、まあいい。
今、手元にその本がないので(たぶん実家に置いたまま)、記憶にたよって書くのだけれど、「スナオになれない自分」をどうするか、という話題があり、著者はそこで「スナオになれない自分を認めて、相手(この本の場合は彼氏ですな)に言い放ってしまえばいい」ということを書いていたのだが、なるほどなあ、と思う。
そのときに、事実だけ言うことは重要かもしれない。「どうせ私は○○だ」じゃなくて「私は○○だ」と。
今月の『CREA』『FRAU』(月刊週刊女性誌)の特集はCLAMPなのだそうだ(雑誌名間違えてました。yucoさんツッコミ感謝)。近所の書店に販促ポスターが貼ってあった。CLAMPファンのDONくんの机に、『BSD Magazine』を取りに行くついでに今月号の『CREA』『FRAU』を放置してみるというのは面白いかもしれない。
ちなみに、CLAMP作品で私が好きなのは『新・春香伝』だったりする。
もっとちなみに、翻案元となった韓国・朝鮮の純愛古典『春香伝』はけっこう性描写が細かい。映画化の際、原作に忠実にしようとした結果、未成年の女優がベッドシーンを演じることになり、これが一部で非難ごうごうになった程だ。
韓国・朝鮮はメロドラマをつくるのに適した文化の感性があるのかなあ、と思う。さすが『冬のソナタ』の国。
CREAではなくてfrauですよ〜>CLAMP<br><br>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002YLPGC/ref=amb_left-1_123784_2/250-2205733-7162652
「どうせ私は」っつーのはやめにしておきたいですね。シャレで言うのならともかく。
つか、高校時代に借りた本が実家にあるというのは如何、<br>と言ってみるテスト
もちろん借りた本そのものはちゃんと返してます。実家にあるのは自分で買い直した本です。:)